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2005.11.29 Tue7月24日通り 吉田修一 [book]


ときどきは少女漫画を読む。

普通の女には、平凡な未来しかないのかな?でも一度くらいはドラマみたいな恋をしてみたい。平凡なOL・小百合に差し伸べられたのは、高校時代、誰もが憧れていた先輩の逞しい腕だった。不幸な恋の結末を予感しながらも、自分の気持ちに正直に生きようとする小百合の「いま」。

この小説は非常にさっぱりと読み終える事ができる小説で、2時間ぐらいでささっと読み終えてしまいました。私は恋愛小説といった類は苦手なのですが、この小説は比較的に読んでいる最中に鳥肌が立つことも、照れることも無く読めました。リアルな気持ちで語られることが、読み手にとってハッと気づかされたり、ドキッと感じたり、主人公と読み手の感情を重ね合わせやすくします。そして著者の吉田修一氏は、文字に沿っての表現が素敵です。
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2005.11.28 Monライ麦畑でつかまえて J・D・サリンジャー [book]

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幸運を祈る。

「もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、 僕が生まれる前に何をやってたとか、そういったデイヴィッド・コパフィールド式のくだんないことから聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな」

読み出すとやはり戸惑いがあった。名訳として評価が高い野崎氏の訳であるが、私には読みづらく、古き時代の文章であると感じさせられた。「君~」というのは勿論読者の事だ。しかしそれでいてホールデンにもなれる場所がある。そんな自由を与えられているこの訳に、私は入り込むまで多少なりの時間が掛かった。最初の入り方が肝心なのだ。やはり読む以上はホールデンになりたいと誰もが思うだろう。しかし、「君~」という突如として登場する第二者的な存在を消す事は、訳す上で非常に困難を要すらしいので、仕方がない。

ホールデンは頭がよく、モラルもあり、繊細で、とても傷つきやすい。ホールデンの周りに人はいたけれど、ホールデン自身の思考と感情に共感する人間はいなかった。それゆえに彼は人と深く関わる事を嫌うが、実はどうにかして関わりを持とうとしている繊細な心の動きも読み取れる。何度も誰かに電話をしそうになるが、躊躇し受話器を下ろすシーンは、まさしく彼が何かを伝えたいという気持ちから、他者の存在と、自らとの関わりを必要としていた現れだろう。それでいてその大切な事に気がつかないホールデンを、私たち読者は優しく見守り、自らが未熟だったゆえの心の葛藤、現実への反撥感情を持つ幼き頃の自分と重ね合わせ、この「ライ麦~」主人公、ホールデンを愛するのだろう。そしてホールデンになれるのだと思う。読んでいく上で最後には、ホールデン・コールフィールドが大好きになっていた。何度も読み返したい作品。村上春樹氏の新訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」も是非読んでみたい。
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2005.11.27 Sun青の炎 [movie]

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こんなにも切ない犯罪者が、かつていただろうか。
秀一は湘南の高校に通う17歳。女手一つで家計を担う母と素直で明るい妹の三人暮らし。その平和な生活を乱す闖入者がいた。警察も法律も及ばず話し合いも成立しない相手に秀一は自らの手で殺害することを決意する。そう、それは完全犯罪であるはずだった。→青の炎

びっくりしたのは松浦さんですね。いつものキャピキャピ感はどこにもなく、すこぶるシリアスな表情を崩さず演技していました。しかもこれがなかなかどーして、かわいくもあり、不思議でもあり、少し怖さも感じさせるような役どころでしたが、きちんと演じれていたような気がします。なんだろ、この「こんなにも切ない殺人者が、かつていただろうか」って文句。確かに切なかったんです。これがなかな深い世界を出していたような気がします。少年の覚えていない幼少のころの記憶。そのときに書いたライオンの絵。自分だけで何とか問題を解決しようとし、妹と母親を守ろうとするあまり殺人を犯してしまう。それは正しいことなのかと葛藤する少年の心と、でもそうせざるを得ない少年の心の奥にある暗闇と光の合間合間を綺麗に出し切れていたと思います。
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2005.11.26 Satピアッシング [村上 龍]

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殺人衝動を持つ男と、自殺願望のある女の出会い。

殺人衝動を持つ男は、幼い時に母親から残虐な虐待を何度となく受けていた。その後施設に入り、男は大人になった。そして結婚し自らの子を作る。しかし男はその生まれたばかりの赤ん坊を、アイスピックで刺したくてしょうがなくなる衝動に心が犯され始める。このままでは、自らの子を間違いなく刺してしまうと思った男は、別の人間をアイスピックで刺す計画を綿密に練り始める。男は娼婦をホテルに呼び出し刺す事に決めた。計画は完璧な物でなんのミスもないはずだったが、出張マッサージで呼び出した女は、乳首にピアスを刺している自殺願望のある女だった。

私は男の事をなんて残虐で、なんて冷たい男だろうと思いながら読み始めた。けれど読み進めていくうちに、いつのまにか男に同情していた。男は可哀相だったし、哀れでしょうがなかった。娼婦の女の事も、最初は頭がおかしい女としか見ていなかったが、読んでいくうちに女の素直でかわいい所、寂しさ、嫉妬、衝動、いろいろな感情が露出し、私はその女に好意を持つようにもなった。かわいい人だと思った。物語としてはサイコな感じだろうが、男と女が勘違いしている場面は面白くつい笑ってしまったし、女の一方的な男への思いは、もしかしたら恋愛感情だったのではないかと考えてしまった。でもやはりサイコか。男の幼い時の虐待は読んでいて気分が悪くなったし、女も自分自身を切りつけていた。あとがきで村上龍氏は「この男と女は普通の人であり、誰でも起こり得ること」と書いている。私はうまく言えないが、虐待を受けていた子供の心と脳に残る傷は、自分への自虐精神だと思う。子供達はすべて自分が悪かったのだと思っている。自分が悪かったから殴られたのだと思っている。母親父親はどこも悪くはないと思っている。好かれたいと思っている。笑ってほしいと思っている。しかしその後を脅えている。なにかあると疑っている。逃げたいと思っているが、仲間に入れてほしいとも願う。いつになったら虐待はなくなるのだろう。無念です。大人は昔誰でも子供だったはずなのに、忘れてしまうのだろうか。
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2005.11.25 Fri熱帯魚 吉田修一 [book]

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「パーク・ライフ」で芥川賞を受賞し、テレビドラマ「東京湾景」の原作者。

大工の大輔は子連れの美女、真実と同棲し、結婚を目指すのだが、そこに毎日熱帯魚ばかり見て過ごす引きこもり気味の義理の弟・光男までが加わることに。不思議な共同生活のなかで、ふたりの間には微妙な温度差が生じる。

吉田修一氏の短編集。淡々と読み進めました。私としては「グリンピース」が1番好きです。しかし3作共々終わり方が非常に唐突な感じがしましたが、きっとこれが吉田修一の味なんだと。そしてごく自然な日常的風景を描いているけれど、そのとても細かい描写により、今まで感じたことのない新鮮さが残りました。普通が普通で感じられない。感情描写がとてもスマートで、暗く渦めいた心が見えました。生身の人間らしい感情を文章に乗せるのがとても上手い方です。
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2005.11.24 Thuトニー滝谷 [movie]

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トニー滝谷の本当の名前は、本当にトニー滝谷だった。

幼い頃から孤独であったトニー滝谷。自分は孤独であるという事実に気がついたのは、愛する人と出会ったからだった。「なんというか、服を着るために生まれてきたような人なんだ」彼女は買い物依存症だった。彼は彼女と結婚し、孤独とは無縁の生活を送り始める。しかし元々孤独だった彼は、今度は孤独を怯える事になる。そして本当に孤独となった時、彼女が残していった無数の服を静かに眺め、彼はどのように考え、行動し、臆病になっていくのだろうか。→トニー滝谷

この物語は、村上春樹氏がハワイで“TONY TAKITANI”とプリントされた1枚のTシャツを買った時から想像が膨らみ、小説化に至ったようです。主演のトニー滝谷役にはイッセー尾形。共演は宮沢りえ。登場人物であるトニーとその父である滝谷省三朗は、イッセー尾形が一人二役を演じ、同じくトニーの妻A子と、妻の死後、トニーの前に現れるB子の二役を宮沢りえが演じます。宮沢りえ最高でした。村上春樹の精神世界を感じる事ができる。全体的にそんな印象を受けました。
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2005.11.23 Wedイン・ザ・ミソスープ [村上 龍]

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子供の殺人に原因はないよ。

歌舞伎町で、外国人向けの風俗的な観光アテンドを職業にしている20歳のケンジ。ケンジは援助交際をしていた女子高生が手足と首を切断されて、殺されて歌舞伎町のゴミ収集所に捨てられていたニュースを見ていた。その時一本の電話があった。「ケンジオフィスですか?わたしはアメリカ合衆国からきたツーリストで、名前はフランクといいます」ケンジは、12月の最後の3日間、フランクと共に歌舞伎町でツアーアテンドをする事になった。しかしその3日間は、ケンジにとって、もっとも残酷な3日間になった。

とても恐ろしいはずのストーリがテンポよく進む事により、恐怖ではなく興味に変わってしまう。鮮烈な殺人と暴力の描写がリアルであり、私たちがいる現実との境が曖昧になっていくのが読んでいくうちに現れる。まさにじっくりと皮を剥がされていくような感覚だった。村上龍氏の伝え方はいささか暴力的だが、私はとても興味を持つ。

「子供の殺人に原因はないよ、幼児が迷子になるのに原因がないのと同じだ、親が目を離したから?それは原因じゃなくて子供が迷子になる過程の1つにすぎない」
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2005.11.22 Tue最後の家族 [村上 龍]

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家族について書かれた残酷で幸福な最後の物語。

この小説は、救う、救われるという人間関係を疑うところから出発している。誰かを救うことで自分も救われる、というような常識がこの社会に蔓延しているが、その弊害は大きい。そういった考え方は自立を阻害する場合がある。

長男の引きこもりに始まり個人個人のドラマと成長がある。個人と家族の繋がりも最初は悪い意味で根は深く、がんじがらめに絡まりあいながらも互いが互いの根を切らぬように甘えあって共存していた。家族とはいったいなんなんだろう。個々の自立は必要だと思うが、なら家族が家族である意味があるのだろうか。互いの価値を見失いながらも夫婦として子を育てながら家族として暮らす。その意味は経済、生活において互いが欠けると成り立たないからだろうか。結婚することで個人が背負い込むリスクや家族を作る責任の重さを結婚する前から(ばれている)そんな時代であるからこそ「結婚と家族」について今問われているのだろう。結婚や家族に幻想を抱いていた昔とは違う。この「最後の家族」のように家族がそれぞれでいい形、望む形で自立するのは簡単じゃない。互いの根が絡まりあっていたのでは葉はなかなか育たないが、個々に1株1株のスペースがあると大きな木に育つ。なにも無理やり1つの鉢に押し込めなくてもいいのだ。しかし甘えは体の奥にしみこんでいて、根を絡ませようとする。誰かがそれを言い出すことによって自立を妨げる。みんな誰かに甘えたいんだ。実は自分を解ってほしいと思っていた事を気づく事ほど情けないと思った。誰かを救う事が自分の優越感や自己満足でしかないのなら「救う」とはいったいなんだろうか。間違いなく「救った気分」を感じているだけだろう。そこには本当に救われた人などいない「救われた気分」を感じている人がいる。

私は自分の父親、母親のすべてを知っていると思っていたが、知っているのは彼らの人生の一番意味のない時間なのかもしれない。輝いていた時を見た事がないのは当たり前だが、想像すらできないのは少し悲しい。
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2005.11.21 Mon69 sixty nine [movie]

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青春とエロスとはったりを感じろ。sakuhin_3.gif
世界はフリーダムとラブ&ピースを訴えていた60年代を舞台に繰り広げられる。高校生の矢崎剣介=ケン、仲間の山田正=アダマ、岩瀬学は、人生は楽しまなくてはならないと、映画と演劇とロックが一体となったフェスティバルの開催を目論む。 計画は膨れ上がりまったくの思いつきから「学校の屋上をバリケード封鎖する」作戦にでた。→69 sixty nine

最強ですよねこの映画。面白くないわけがない。原作村上龍、脚本家宮藤官九朗、主題歌CHEMISTRY、主人公妻夫木聡、その友人役に安藤政信、おまけにケンの父親役に柴田恭平。まだまだ見ていると出てきますよ。この人もでているの?と、驚いてしまいます。あと69 sixty nineはとてもテンポがいい。駆け抜けたの一言。実際映画の中ではケンががむしゃらに走るシーンが多く、そのなんの雑念も感じさせない走りにスカッとした心地よさを感じました。しかし妻夫木聡は当時23歳。安藤政信にいたっては29歳。あんな全力疾走はきつそうです。2人とも高校生役には違和感0でしたが。体力的にはどうだったのでしょうか。鍛えているのかな。
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2005.11.20 Sun不思議な図書館 [村上 春樹]

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オスマントルコ帝国の税金のあつめ方について知りたいんです。

すごく面白かった。まず羊男、表紙のイラストを見れば一目瞭然ですが、実際に登場したときは、私の中でアイドル状態でした。いつも羊男。たまに羊男。イラストがかわいいと思ったら、この佐々木マキさんは、随分と春樹作の表紙を手がけている様子で、検索してみたら沢山出てきました。「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「カンガルー日和」「羊男のクリスマス」「パン屋再襲撃」「ダンス・ダンス・ダンス」「TVピープル」そしてこの「ふしぎな図書館」です。私の中での羊男は怖いイメージだったのですが、こうして見るとかわいいですね。もしかしたら物語によっては顔を変えているのかもしれません。こんなふうに考えるのも楽しいものです。
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2005.11.19 Sat海辺のカフカ  [村上 春樹]

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世界の万物はメタファーだ。

15歳の誕生日、少年は夜行バスに乗り、家を出た。一方、猫探しの老人・ナカタさんも、なにかに引き寄せられるように西へと向かう。暴力と喪失の影の谷を抜け、世界と世界が結びあわされるはずの場所を求めて。

相変わらず雰囲気はいい。それだけでも読めてしまうところもいい。また読み終わった後の余韻も村上春樹特有の心地よさだった。しかし同時に村上春樹的思考世界についていけないと思ったのも正直な感想です。なんていうか置き去りにされた気分にもなりました。メタファーだのソリッドだのなかなかどうしてな言葉が多数でてきて、挙句には「世界の万物はメタファーだ」と締めるほどに遠ざかっていきます。と、しかしこんな事言い出したら村上春樹は読めません。笑。物語自体はかなり面白く読めたし、二手に分かれての進行も楽しめました。登場人物の色も濃く印象的で、私としてはほしの君が好きです。この物語で唯一現実を生きている人ですが、微妙な位置に留まりながらもすべてを受け入れているほしの君は素敵でした。

イメージとしてカフカが入った森。というか→森のサイト です。世界中の森が見られます。素敵ですよ。この海辺のカフカを読んだ後に是非除いてみてください。イメージが膨らみます。
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2005.11.18 Fri国境の南 太陽の西 [村上 春樹]

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そしてある日、あなたの中で何かが死んでしまうの。

1951年1月4日に生まれた「始」という男の子は、その時代には珍しい1人っ子だった。始はその1人っ子という事実にコンプレックスを抱いていたが、始が通う小学校には、もうたった一人だけ、小児麻痺で足の不自由な1人っ子の女の子「島本さん」が存在していた。その小学校では、互いに互いがたった1人の1人っ子という存在であり、それがきっかけで2人は親しい友人になった。しかし2人は別々の中学校に入学してしまう。それでも最初のうちは始が、駅2つぶん離れた島本さんの家に会いに行ったりしていたが、だんだんと始の方が、島本さんの思春期の変化を意識しだし、自分自身のコントロールをすることが難しくなった。そして2人は会わなくなった。互いが大人になるまで、ずっと。

「この世界は、雨が降れば花が咲くし、雨が降らなければそれが枯れるんだ。虫はトカゲに食べられるし、トカゲは鳥に食べられる。でも、いずれみんな死んでいく。死んでカラカラになっちゃうんだ。ひとつの世代が死ぬと、次の世代がそれにとって変わる。それが決まりなんだよ。みんないろんな生き方をする。いろんな死に方をする。でもそれはたいしたことじゃないんだ。後には砂漠だけ残るんだ。本当に生きているのは砂漠だけなんだ」

「そしてある日、あなたの中で何かが死んでしまうの」
「死ぬって、どんなものが?」
彼女は首を振った。
「わからないわ。何かよ。東の地平線から上がって、中空を通り過ぎて、西の地平線に沈んでいく太陽を毎日毎日繰り返して見ているうちに、あなたの中で何かがぷつんと切れて死んでしまうの。そしてあなたは地面に鋤を放り出し、そのまま何も考えずにずっと西に向けて歩いていくの。太陽の西に向けて。そして憑かれたように何日も何日も飲まず食わずで歩き続けて、そのまま地面に倒れて死んでしまうの。それがヒステリア・シベリアナ」
僕は大地につっぷして死んでいくシベリアの農夫の姿を思い浮かべた。
「太陽の西には一体何があるの?」
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2005.11.16 Wed悪童日記 アゴタ・クリストフ [book]

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ぼくら2人は、まず手始めに平手打ちを、次には拳骨パンチを、互いに加え合う。

戦争が激しさを増し、双子の「ぼくら」は、小さな町に住むおばあちゃんのもとへ疎開した。その日から、ぼくらの過酷な日々が始まった。人間の醜さや哀しさ、世の不条理―非情な現実を目にするたびに、ぼくらはそれを克明に日記にしるす。戦争が暗い影を落とすなか、ぼくらはしたたかに生き抜いていく。

2人の双子を通じて、戦争の残酷さを描いている。双子は恐ろしく頭がよく、残虐だ。しかし神のような正義も持ち、神のような天罰をも下す。物語の最初から引き込まれ、双子の成長が恐ろしくも、楽しくもあった。しかし残虐からは離れず、最後は氷のような結末になる。私たちは双子から目を逸らすことはできないだろう。
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2005.11.15 Tueダンス・ダンス・ダンス  [村上 春樹]


踊るんだよ。音楽の続く限り。

そんなに簡単に人は消えないのよ。とユミヨシさんは含めるように言った。「君は知らないんだ」と僕は言った。「この世界ではなんでも起こりうるんだよ。なんでも」失われた心の震えを回復するために、「僕」は様々な喪失と絶望の世界を通り抜けていく。渋谷の雑踏から、ホノルルのダウンタウンまで。そこではあらゆることが起こりうるのだ。

私は「風の歌を聴け」から一気にこの本にとんでしまった。正しくない、と思った。順番からいってもちろん次の作品は「1973年のピンボール」続いて「羊をめぐる冒険」その後「ダンス・ダンス・ダンス」を読まなくてはいけなかったのに、いきなりこの本を読んでしまって、正直、少し後悔している。感想は、2冊とばしで読んでも、もちろん面白かった。「風の歌を聴け」とはまた全然違った種類の雰囲気を感じたし、「僕」自身の変化もあった(あ、とばして読んだからか)でも私はキキや鼠の死やいるかホテルの事をなにも知らなさすぎた。途中当然のごとく「ん?」と思う箇所がいくつもあったが、読み始めていたので止められず最後まで読んだ、そして後悔してしまった。

ディック・ノースの死によってユキは僕に「酷い事をしてしまった」と言った。それをしかる僕の言葉が私の中で印象に残っている。「後悔するぐらいなら君ははじめからきちんと公平に彼に接しておくべきだったんっだ。少なくとも公平になろうという努力くらいはするべきだったんだ。でも君はそうしなかった。だから君には後悔する資格なんてない。全然ない」。この言葉はきついようだが私には優しさを感じた。私がユキでも泣くだろう、少なくとも言われた直後は僕を憎むかもしれない。しかしこれは優しさなのだ。5分後に感じる優しさ、僕の言葉には力がある。魅力的だ。大きく、暖かい。そんな言葉が本の中にはいくつもあった。でも僕がたまに言う冗談は、私も言われたら「なに?それ馬鹿みたい」と言ってしまうかもしれない。笑。僕は清潔で料理が上手で会話も素敵です。愛車のスバルに乗っている僕。いつも灰皿を見つめている僕。私の中での僕の顔。想像は、いつもなんとなく霞んでいるんです。皆さんの僕はどんな顔をしていますか。
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2005.11.13 Sunダメな女 [村上 龍]

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小説ではなくエッセイです。

あいつダメな女だなあ、と言うとき、わたしたちはどういう女を想像するだろうか。20年ほど前までは、炊事洗濯ができない主婦をそう呼ぶことが多かった。今はどうだろうか。どういう女をダメな女と呼ぶのだろう。

このエッセイは「I.m」「CLASSY.」という雑誌に1997年~2001年まで掲載されていました。内容は村上龍氏的に思う「ダメな女」がいろいろな形で書かれています。私はまずタイトルを見てどきっとしました。こんなにもはっきり「ダメな女」と書かれていると、まるで自分の事を言われている気分になり(私だけでしょうか)いや、大抵の女性が思わず目を逸らしたくなり、私はダメな女でしょうかと問いさせる本です。
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2005.11.12 Sat昭和歌謡大全集 [村上 龍]

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彼らはそれをパーティと呼んでいるが、常識的なパーティとは雰囲気が違った。

この物語は若者達の集まり(パーティー)から始まる。しかし若者達は互いに何の関心もなく、ただ集まっているだけの何も意味のない時間を過ごす。ある日そのうちの若者1人がさしたる理由もなくおばさんを殺してしまうのだが、物語はそこから急激に変貌し、若者対おばさんの命をかけた攻防戦が始まる。そしておばさん達はおばさん達で無意味な集まりがある。おばさん達はただ名前が同じとだけの理由で集まった「ミドリ会」だった。そしてミドリ会のおばさん達も若者達と同じく意味のない時間を過ごしていたが、仲間のおばさんを殺されたことによりミドリ会の集まりが意味のあるものになり、次第に結束も向上していく。しかしそれは若者達も同じだった。

お互い殺しあうことで生きがいを見出していくのは非常に村上龍らしいです。殺し合いを続けていくうちに今までなかった連帯感を仲間に感じるのは、「殺す」ことを省いても解る感情だなとも思いましたし、いっそ「殺す」ということにはまったく意味はなく感じることもできたような気がします。ようはこれがスポーツでも何でも十分成り立つ話なのですが、あえて「殺す」ということに執着したのは村上龍くさいって事ですね。完全にブラックです。最後は若者が勝ったけれど、おばさんがまだ残っていますね。さて。
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