カ ミ ノ コ ド モ タ チ ハ ミ ナ オ ド ル 

home admin rss 

--.--.-- --スポンサーサイト [スポンサー広告]

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
posted by:--:-- 

2005.11.28 Monライ麦畑でつかまえて J・D・サリンジャー [book]

4560070512.jpg
幸運を祈る。

「もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、 僕が生まれる前に何をやってたとか、そういったデイヴィッド・コパフィールド式のくだんないことから聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな」

読み出すとやはり戸惑いがあった。名訳として評価が高い野崎氏の訳であるが、私には読みづらく、古き時代の文章であると感じさせられた。「君~」というのは勿論読者の事だ。しかしそれでいてホールデンにもなれる場所がある。そんな自由を与えられているこの訳に、私は入り込むまで多少なりの時間が掛かった。最初の入り方が肝心なのだ。やはり読む以上はホールデンになりたいと誰もが思うだろう。しかし、「君~」という突如として登場する第二者的な存在を消す事は、訳す上で非常に困難を要すらしいので、仕方がない。

ホールデンは頭がよく、モラルもあり、繊細で、とても傷つきやすい。ホールデンの周りに人はいたけれど、ホールデン自身の思考と感情に共感する人間はいなかった。それゆえに彼は人と深く関わる事を嫌うが、実はどうにかして関わりを持とうとしている繊細な心の動きも読み取れる。何度も誰かに電話をしそうになるが、躊躇し受話器を下ろすシーンは、まさしく彼が何かを伝えたいという気持ちから、他者の存在と、自らとの関わりを必要としていた現れだろう。それでいてその大切な事に気がつかないホールデンを、私たち読者は優しく見守り、自らが未熟だったゆえの心の葛藤、現実への反撥感情を持つ幼き頃の自分と重ね合わせ、この「ライ麦~」主人公、ホールデンを愛するのだろう。そしてホールデンになれるのだと思う。読んでいく上で最後には、ホールデン・コールフィールドが大好きになっていた。何度も読み返したい作品。村上春樹氏の新訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」も是非読んでみたい。
スポンサーサイト
posted by:15:17 trackback:0 comment:2 

Skin:Babyish
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。