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2005.11.22 Tue最後の家族 [村上 龍]

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家族について書かれた残酷で幸福な最後の物語。

この小説は、救う、救われるという人間関係を疑うところから出発している。誰かを救うことで自分も救われる、というような常識がこの社会に蔓延しているが、その弊害は大きい。そういった考え方は自立を阻害する場合がある。

長男の引きこもりに始まり個人個人のドラマと成長がある。個人と家族の繋がりも最初は悪い意味で根は深く、がんじがらめに絡まりあいながらも互いが互いの根を切らぬように甘えあって共存していた。家族とはいったいなんなんだろう。個々の自立は必要だと思うが、なら家族が家族である意味があるのだろうか。互いの価値を見失いながらも夫婦として子を育てながら家族として暮らす。その意味は経済、生活において互いが欠けると成り立たないからだろうか。結婚することで個人が背負い込むリスクや家族を作る責任の重さを結婚する前から(ばれている)そんな時代であるからこそ「結婚と家族」について今問われているのだろう。結婚や家族に幻想を抱いていた昔とは違う。この「最後の家族」のように家族がそれぞれでいい形、望む形で自立するのは簡単じゃない。互いの根が絡まりあっていたのでは葉はなかなか育たないが、個々に1株1株のスペースがあると大きな木に育つ。なにも無理やり1つの鉢に押し込めなくてもいいのだ。しかし甘えは体の奥にしみこんでいて、根を絡ませようとする。誰かがそれを言い出すことによって自立を妨げる。みんな誰かに甘えたいんだ。実は自分を解ってほしいと思っていた事を気づく事ほど情けないと思った。誰かを救う事が自分の優越感や自己満足でしかないのなら「救う」とはいったいなんだろうか。間違いなく「救った気分」を感じているだけだろう。そこには本当に救われた人などいない「救われた気分」を感じている人がいる。

私は自分の父親、母親のすべてを知っていると思っていたが、知っているのは彼らの人生の一番意味のない時間なのかもしれない。輝いていた時を見た事がないのは当たり前だが、想像すらできないのは少し悲しい。
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2005.12.10 Sat最後の家族

村上 龍 最後の家族 村上龍の「最後の家族」を読む。最近かなり読書三昧。この本は引きこもりの青年とその家族の物語と括ってしまうのは余りにも単純すぎる。終章近くで、ここのところ自分の中でもやもやとしていたものが明確に語られていた。私は自分とその周囲との距

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